風を浴びに・・・
45分1,000円で眺めることが出来る景色は、とりたてて書くほどのものではない。

しかも、『おぅ、フネに乗ってるぞ!』・・・というような揺れも味わえない。

でも、船着場とはまるで違う風の量と強さ。

風を浴びるってことが、なんて気持ちのいいことなんだって、ほんとに久し振りに思い出した。

一人ではバナナを食べきれない、さっちゃんのように、コカ・コーラを半分しか飲み干せなくなった32歳は、子どもの助けを借りて船上でのイメージ演出に酔う。

「たとえ土日でも、いっぱいで乗れないなんてことにはなりません。」
・・・とは、1時間のインターバルを競馬予想で遣り過ごすキップ切りのお兄さん。

豊洲のわざとらしい喧騒のすぐそばに、肩のちからが程よく抜けた空間が存在していたのだった。

大阪STRUT.2

2007年6月29日 日常
昨日の朝もそうだったが、新幹線の冷房は今夜の帰路も、いまひとつヌルかった。

スヤスヤし始めてしばらくすると、うつむいた姿勢のために首がうっすらと汗ばんでくるのだ。

そうしてハッと目が覚めると、無性に何か冷たいものを飲みたくなって、車内販売のワゴンが待ち遠しくなってしまう。

・・・そう、そうなんだ、売り上げが今ひとつな状況で、おい、お前ならどうする、お前さんがチーフのポジションだったなら?

そうさ、もちろん、空調の設定温度を上げるよ。

・・・だろ?

・・・で、効果はどうなんだよ?

・・・いやそれがさ、一気に皆んなが買い始めるもんだから、声掛けられまくりでなかなか先へ進めないんだよ。
それだから余計に待ってる人は不満が募って・・・

フィクションはこの辺までにしておいて、

再開発と日本橋の頽廃で増えたワンルームマンションの功労により、さらに人口が増え続けている大阪の人ごみに行ってまいりました。

初日の夜に気付いて驚いたのは、(偏見かもしれないが)街中でブラブラしてる女子高生の姿が全然見当たらないということ。

東京ならどこにだっているじゃないか。
意外に健全(?)なのだろうか、それとも生息地が限定的なのか、結局のところよく分からなかった。

ひょっとして、皆んな帰宅して着替えてから遊びに出掛けるのだろうか。

<驚いたこと?>

梅田のコムサストアの7階、SWEETS MUSEUM はスゴイ。

平日の午後、そんなに遅くない時間なのに、ものすごい女子の数。

たしかに、

ここには何でもある!

・・・ということが俺にもわかるショップセレクトだから、ある程度納得いくのだが、それにしてもなんでそんなに潤っているのか、大阪の女子よ!

いいや、オジサンだって財布には千円ぐらい入ってるさ!
・・・と強がりを誰かに主張したくなったのか、佐世保バーガー、ビッグマンの最高値メニュー、ステーキバーガーを頬張ることに。

何だかヤケに調子を狂わされる、自分にとっちゃそんな印象ばかり残る街・・・大阪はまだまだ奥が深そうで、興味深い。

願わくは、今度ゆっくり時間を用意して、訪れてみたいものだ。

東京散歩

2007年6月25日 日常
土曜日。

六本木でチョコレートにまつわる催しを観覧してから、家族と別れ日比谷線で日比谷まで移動。

ビックカメラでヒッチコックのTV番組集とシェリル・クロウ全盛期のステージ記録を買いさらってから、丸の内方面まで散歩することにした。

昨年壊れてしまった、ベルト付きサンダルの跡継ぎを探しているのだ。

丸ビル、新丸ビルと見歩いて、4階の雑貨屋さんでビルケンのクッション付きを発見。
しかしサイズがなく、泣く泣くお取り寄せに。
何やら神戸にある系列店から持ってくるらしい。

そうこうしているうちに18時半、バイトに出るカミさんと時間を合わせるべく帰途に。

家に到着後、六本木から先に帰ってもらっていた息子にチョコレート展について尋ねるも、曖昧な反応。
もう少し繊細な表現力を培ってほしいものだ。

そう、展覧会は小学生まで無料。主催者の意図はよくわからんが、しかしそんな申し出に世間は冷淡。
こどもの姿は至極まばら。

資本主義の甘くない格差バランスを端的に表現してくれるチョコレートにまつわるアレコレを、わかってほしいとは思えどそれは酷というものか。

私はやはり、嫌味な父親になってしまっているのだろうか。
この間、定食屋でアジの開きを頼んでみたら、かなり大きな代物だったのでビックリしたのだが、かえって小ぶりのものよりも骨離れが良くて食べやすかったのだ。
小骨恐怖症の私にとっては、ちょっとした幸せだったという話。

またこの間、とある浅草にある玩具メーカー本社に行ってみたら、エレベーターの案内音声が、その会社の看板キャラクターのセリフ(声優さん吹き込み)になっていた。これって結構知られてる話なんだろうか?
・・・という話。

また話は飛んで、とある本を読んだら、戦後、VWの工場を再生すべく立ち回ったのはイギリス軍少佐だった、という話。その彼は輸出依存による早期復興、アメリカ市場へのサービス網構築を前提とした進出、など、なぜか素晴らしいビジネスセンスを持ち合わせた人材だったらしい。
滞留したものごとの流れを復活させるには、やはり外からの血を受け入れるのが手っ取り早いのだろうか、という話。

近所の飲食店で、八角の効いたトマトペースト入りの中華麺を食べた。
意外においしかったのだが、家族は「いかにもパパ向けな味だね。」などと云う。
また食べ物の話かよ・・・という話。

我らがデビッド・フィンチャーの新作が日本でも公開されるようだ。
僕のようなファンが、過度の期待をしないで観る方法を誰か教えてくれないだろうか、という話。

会議資料を作るために必要となる時間の方が、会議資料に書いたことを実行するための時間を圧迫している現状が一向に改善する気配すらないままもう6月。
新たな荷物を背負いだしてから、早や1年。
『じゃぁ、他の誰かにやらせてみろよ。』
と、
言ってしまいたくなるような、梅雨の晴れ間の今日。

じっと手を見る。

小さな手だ。

それでまた思い出すのは、ロジテックは欧米にも、日本向け製品と同じサイズのマウスを出荷しているという話。
本当にエルゴノミクスデザインと言えるのだろうか。

・・・デザインと言えば、ミッドタウンでやってるチョコレート展にまだ行けていない。
はやく息子とスケジュールを合わせなくては。

だいぶスッキリしてきたので、このへんでさようなら。

memo

2007年6月6日 日常 コメント (1)
NHKが脱談合後社会の危うさを取り上げた番組の再放送をさっき見た。

番組の最後に、社会部所属という肩書きの記者(時代遅れ風な感じの人)が、「日本国民のおよそ10人に1人は建設業に何らかの関わりがある」というようなことを口にしていた。
何の根拠も示されないまま番組が終了してしまったが、『50万社もある建設業者』というフレーズが繰り返されていると、何と無く『そうだろうな』と思い込もうとしてしまっていることに気付く。

情報操作による意識操作?

そうさ、自分だって身内に建設業を生業としている人が居るし、その人のことを思えば、もっと大事に保護してやってくれって気にもなるさ。

でも、「身を粉にして限界を超えた効率追求してるオレラの業界が生み出した税金が、こんな人余り事業に無駄に費やされているんだ!」という事実に、いったん目を向けてしまえば10人に1人ってのが正確じゃなかろうがどうでもイイってもんだ。

あれもやりたい、これもやりたいけど、時間と人手が足らない。

そーこーしているウチに、ライバル(と、こっちは勝手に思っている)会社はどんどん先へと進んで行ってしまってる。

もっとマシなこと書けるようになるためには、相当頑張らなくちゃならない。
そう思うとかなりツラい。

30代なんて、そんなもんだろうか?
今夜の時効は、シリーズ2で唯一面白い、と感激しながらエンディングロールを慎重に眼を凝らして読み上げていると、なんと『脚本/監督 オダギリ ジョー』とな。

・・・ということを書いてるだけじゃぁつまらないので、この間30分掛けてやっとこさ見つけ出した面白そう(いや、間違いなく面白い!)な本をご紹介。

どこかで見たことある名前だなと感じたのも、あながち間違いじゃなかった(巨匠)絵本作家さんの絵画手法開陳。

・・・そういえば随分前に横尾忠則の著作に同様のものがあって、もちろんそれも我が家の本棚にある。

「だれもが受けたい『理想の授業』」なんてある帯コピーはかえってジャマ。

この本が刺さる自分にちょっとだけでも酔いたい感じ。

自分に合わない本(器のちっちゃな自分には、当然に大多数の本)や必要のない本は、タイトルや作者に惹かれても手にとって眺めれば5秒しないでわかる。

逆に今必要な本だって、それとわかるのに5秒もかからないから不思議。

手にとって10秒迷う本はというと、やっぱり迷うから必要ないのだ。

結局何を言いたいのだろうかという話の展開に。

今日はショッキングな出来事があったのです。

闇の勢力がその力をさらに強大にし、善なる魂を仕事にぶつけてきた戦友の一人がまた、我が社を去って行きました。

悔しさと悲しさと決意と苦しみと希望と(何らかの)達成感をたたえた表情で、彼は去って行きました。

優秀な人ほど早く去って行くこの今にも沈みそうな船は、責任を誰に押し付けるかを決めるためだけに会議と呼ばれる時間を浪費し、実務をこなすための猶予をさらに失い続けています。

フィクションの世界では、昔からサバイバルゲームがモチーフに採り入れられることがあったような気がするけど、ひとり、またひとりと去って行き・・・最後に残った主人公が勝利と呼べるものを得るのか得られないのか、果たしてどちらのパターンが多いのだろう・・・

明日は、息子の小学校の運動会の日だ。

SONYのハンディーカムには、残量がたっぷりなままのディスクが入れっぱなし。
電池もわざわざ充電するほどじゃない。

今日は、ほとんど全てのことに実感が薄くて、こうして書くことで何かを自分にフィードバックさせようとしているのだ。

窓の向こうの高速道路を行くタクシーもだいぶ少なくなってきて、時計を見るまでもなくすでに遅い時間帯になっていることがわかる。

若い頃の織田哲郎が唄うしなびた曲が記憶の背後に流れながら、淋しい気分を楽しんでいる。

こういう落ち込んでいる時には、あからさまに破天荒なストーリーで自分より惨めな境遇や結末にいたる人物像を傍観できるものをつまみ食いするようにして観てみたくなるのだ。

さらにこういう時につくづく思わされるのは、自分がいかに子ども染みたカルチャーに足首を掴まれたままなのか(簡単な言葉では『おたくっぽい』と言う)ということ。

http://www2.u-netsurf.ne.jp/~okhr/sight7/page23.htm

小さい頃に慣れ親しんだストーリーがパッと頭に浮かぶ。

あの老練の占い師のように、本当のことが見えていたとしても、見えているだけではダメなのだ。

解決力を持ち合わせない限り、見えているがこそ被害を拡大させてしまう。

見えるだけの能力なら、あのストーリーのように失ってしまったほうがハッピーエンドなのかもしれない。
・・・それはモナコだからだ。

それに付け加え、今回はマクラーレンのハミルトンが、カラード(彼はタイガーのようにライトスキンだけどね)として初の優勝を狙えるんじゃないか、という勢いがみなぎってたので。

しかし、残念ながら、数度ライン取りが上手く行かなかっただけでチャージを諦めて、終盤は緊張感の希薄な走りに。

若いってのに、そんなにクレバーになっちゃってたら面白くないじゃん、って思うのはあまりに素人考えか。

クールな奴になりきらなきゃいかんF1っていうレースは、

・・・いやぁ、これ以上あ〜だこ〜だ言っては、F1が好きだという方々のお気持ちを害してしまうではないか。

圧倒的に彼らがマジョリティーなのであって、非舗装路を走り抜けるレースの方のファンは、あまり大きな声を出すべきでは・・・

もう少し、何かマトモなことを書けるようにならなくては。
今日はもう寝るとしよう。
ついつい観てしまった。

たしかに、人は『何のために』生まれてきたのかを知りたいと欲しても、その問いは誰かに訊いて教えてもらうという性質のものではない。

自ら見出していくことなのだ。

連綿とDNAと文化と環境が受け継がれてきたこの世の『ある瞬間』に生まれ出て来た私は、その歴史の価値に自分なりの新たな洗練や何らかの影響を加えた上で後世に引き継ぐことも・・・やろうとすれば・・・出来るのだ。

それが出来てはじめて、『この世に生まれてきた意味』を現実のものとさせることができるのだ。

安心して育っていられる家庭に生まれて、安心して育っていられる健康に恵まれたのなら、苦労して努力すべき。

もし、ただ生きていくことも困難な家庭に生まれたり、ただ生きていくことも困難な健康状態で生まれたのであれば・・・ただ生きようとすることが、ただ生きようとするだけで、周りの人々に影響を与えることができるのだと思う。

まぁ、色々とこれまで考えていたことを再確認することができた内容だったと思う。

「・・・私の師は、私にこう言っていた・・・」

というコメントで諭してくれる師を持つことができるということは、本当に幸せなことだ。

ひとりの少年の父親でもある私は、そのようなことを伝えられる人物にならなくてはならないのだろう。
うまいよ!

下仁田ねぎの実力の高さを、通常の料理でチェックするよりもずっと簡単にわかってしまうかも。

近頃のお菓子はスゴすぎ。

この間は『近畿地区限定ジャイアントプリッツたこ焼味』を土産に買って帰ったけど、こっちもなかなかだった。

ベビースターもそうだが、こちらも一袋あたり二本というつつましさ。

駄菓子なのにオトナ向けなパッケージング。

日本企業の自国内向けマーケティングの実力の高さに感服する。

みんな頑張ってるなぁ。

さぁ、というか、やれやれ、というか、やっぱりというか、明日も仕事だ。

そしておそらく、俺をがっかりさせるようなトンデモ指令が飛び交う12時間になるのだろう。
渡辺満里奈というひとは、意外と肝が据わっているようだ。

10年ほど前のテレ朝の番組では、羊の頭をまるごと煮て、テーブルの上で肉をむしり取りながら塩を付けて食べる・・・というだけの物を、現地の人たちに混じって堪能されたらしい。

朝日新聞の夕刊に連載されたのをまとめたこの書物がきっかけとなって、その番組が製作されたらしいのだ。

辺見 庸の出世作に近いかなと思って手にとってみた。

今夜は小心者のひとりご飯。何かお供が欲しかったのだ。

ついつい入ってしまうチェーン店で、ご飯少なめの野菜天ぷら定食。
今回は白だしで炊いた筍とふきの小鉢がなかなか良かった。
野菜だけでは少しさみしいので、蛸と海草のサラダも付ける。

食べ始めると、程なくして一つおいた隣の席に客が。

僕と同じく蛸入りサラダと天ぷら定食を頼む。
人が食べているのを見ると、余ほど旨そうに思えてしまうのは良くあることだ。

七分丈のジーンズを穿いた、元アイヴィー世代の『粋Z』オヤジ。
なかなかのシャレもんである。

そんな客を横目に、この本をゆっくりと読んだ。

「タレ多めでね!」
・・・なんて付け加えて、大盛りのどんぶりをガツガツいってる反対隣りのメタボリーマンなんかとは、店員さんの眼から見てちっとはチガって映ってたらいいんだけど・・・とか余計なこと考えつつキャベツの塩もみをパクリ。

あぁ、結構のんびりできたなぁ。

4月30日の日記

2007年5月1日
<23時15分>
高校時代、えらく長い時間を一緒に過ごした友人(そして近頃はずいぶん御無沙汰している)から朗報。
7月に結婚するのだと云う。
しかも場所は軽井沢、金曜の夜!
・・・なかなかやってくれるじゃないか!
おかげで思う存分、正々堂々と羽根が伸ばせるというものだ。

<22時30分>
TVラックの中に鎮座しているMDレコーダーが不憫でならなくて、突如CDからのダビングを始めた。
MDというものは少ししか録音できないもんで、曲が最後に収録された『Time After Time』のあたりまで辿り着くと、もうとっくに止まってしまっていた。
感傷的なメロディーに包まれながら、この機械を手にしたあの日のことを思う。
それまでは本当に『デジタルで録音する』ということが、夢のように待ち望んでいたことだったから、自分にとってすごく記念碑的な一日だったのだ。
・・・そう簡単には、イマドキの機械に乗り換えてしまうわけにいかない。心情的には。

<22時>
孫受けバス会社の悲哀を採り上げたNHKと、淳久堂を採り上げたTXのどちらを真剣に観ようかと思案する。
結局どちらも真剣には観ないことに。

<20時50分>
自宅に着いてすぐ、買ってきた惣菜をお皿に移して、1/2カットのカンパーニュを軽くトーストする。
意外にもロールキャベツのトマトソース煮込みにハーブが強く香っていて、旨い。

<19時30分>
足早に会社を脱出して辿り着いた地下の惣菜売り場は、偶然にもラスト30分の割引きタイム。
さて今日は何にするかと・・・
今夜は何も作っていないというのだから、仕方がない。
ついさっきまで、2パック525円だったものが同額で3パック選び放題に!
咄嗟にローストビーフサラダと棒々鶏、ロールキャベツというメチャクチャなチョイス。
まあいいさ、もう帰らなくちゃ。
大阪STRUT.
皆様、御無沙汰しております。

日経MJの記事にあった、竹原慎二のブログが超人気との話を思い出し、帰りの新幹線内で、初の携帯からの更新を試みたものの上手く行かず、今こうして書き直しているという始末。

・・・ところで今回お知らせしたいのは、『ゐざさ』という暖簾の『柿の葉寿司』が駅弁らしからぬクォリティーだったことなのです。鮭、鯖に、鯛まで入った8個入り980円の詰め合わせは、ありきたりな工場謹製弁当を押しのけて選ぶに値する品物だと思います。
関西方面に出張されて、どうしても時間がないという場合はおすすめです。

(できることなら、しっかり大阪らしいものを、ちゃんとお店で食べたかった。)

・・・ちょっと検索してみると、実は身近なところにも最近は出店してたらしく、結構知っているひとは知っているのかもしれない。

・・・兎に角、サントリーが出してる250ml入りの芋焼酎『それから』の水割りと共に、帰り道は大変心地よかったのですが、そもそも今回の出張はかなりキツイものがあった。

こっちは係長見習いの身分だというのに、相手方は部長クラスがズラリ。

結構萎縮しちゃいました(こういう人選をしたウチの会社組織の情けなさを恐縮するあまり)。あまりにも失礼無礼で。

まぁ、物事なるようにしかならないわけですから、クダらないビジネス書なんか放り出して、実務主義で積み重ねてゆくしかないワケですなぁ。

あ〜ぁ、やっぱサラリーマンだよなぁ、俺って。そりゃそうだよ。あまりにもわかりきってることだけど。

ふぅ。

右寄りに並ぶエスカレーターや、制服を膝下丈で着ている女子高校生をなぜか目にする街には、たった5時間しかいなかったのに相当疲れてしまった。

・・・いや、思い出した。街が原因じゃない。岡山資本のコーヒー屋、『サンマルクカフェ』のとんでもないメニューが元凶なんだ。

時間調整が目的で入ったら、『マンゴーラッシー』なんていう、意外にも期待させるタイトルが飾ってあるもんだから頼んでみた。

・・・すると、どうでしょう(テレビ朝日系列『劇的ビフォーアフター』のナレーション調で)、レジのオネーさんが、注文を聞くとそのままおもむろにグラスの底に、スプーンですくったマンゴーペーストを放り込み、その上からクラッシュアイスをこれまた放り込んで、最後には明治ブルガリアヨーグルトをざざっと注いでそのまんまスプーンと一緒に差し出してきちゃった。

「かき混ぜてからオメシアガリクダサイ。」

・・・あとは客に丸投げして380円。

やだなぁ、こういうの。

・・・なんてことグダグダ書いちゃう自分。

また少しお休みしたほうが良いのかも(終)。
...相変わらず、おいしいもの(否:高価なもの)ばかり食べています。

相変わらず体重が減っていません。

家族の反対を押し切って、実家からヤツを引き取ってきました。なんでも、持て余してるとかで。

TVの見える位置に設置して、ライブもののDVDをかけて、まだ読んでなかった土曜日の新聞を広げました。もちろん(?)ヤツに腰掛けながら。

15分ほど試してみたのですが、意外に楽しいもんです。



・・・にしても、いまいちだなぁ。

時効警察2、もう始まっちゃたんだっけ?

もすこし、楽になんないかなぁ・・・

『甘え』っちゅ〜か、実感。

キビシイねぇ、毎日の現実(と未来の憂鬱)は。

ガムでも噛んで、もう寝るか。

春ですね。

2007年3月30日 趣味
菜の花を茹でたものを加えた塩味のやきそばを自宅で食す。

おいしかった。

ただそれだけなんだけど・・・

明日はどこかへ、でかけよう。

いつの間にやら、新年度。

伸び過ぎた髪も、もう切らねば。

何かいいこと、あるだろうか。

・・・自分次第、なのは分かっているくせに、そんなことを云う。

夢見るばかりじゃいられない歳に、なってしまったのだから。

どうやら、居心地のいい時間と場所を探して彷徨う土曜日に、なってしまいそうだ。
from Wikipedia Japan

レベッカはヘブライ語の女性人名リベカの、ヨーロッパ諸言語形。

旧約聖書(創世記24〜25章)にも登場し、うっとりさせる者、魅惑する者、束縛する者という意味がある。

英語では Rebecca や Rebekah, ドイツ語では Rebekka,などと綴る。

英語のレベッカの愛称はBecky(ベッキー)。


ヒッチコックのハリウッドデビュー作、1940年の作品だ。
以前から、そういうものがある、ということは認識していたのだが、特にこれといった魅力があるようには感じられず、すっかり意識の外に追いやっていたままだった。

・・・ところが、ひょんなことから「面白いよ!」と紹介され、いざ実家に行ってみると、なんだ、やっぱりあるじゃないか、ということで、例の500円シリーズ。

まだ少し半信半疑な感じで昨晩、時間ができたので鑑賞してみることに。

すると、ものすごい肉弾嫌われキャラ金持ち勘違い性悪イギリス女悪役が、いきなりオープニングから大爆発、すごい女優さんがいたもんです。

見ている側に、主人公に同情したくなるよう仕向けつつ、軽やかに華麗に(少しぎこちなく)ロマンティックな第一部が展開します。

そして、謎に満ちた不安と孤独の第二部、いつ破綻してしまうのか予想が付かない、常に緊張したタームがその後を引き継ぎます。

想像していたほどではなかったものの、やっぱり起きた悲劇が思わぬ希望を一気に引き出す。それはしかし、すがりつくには、あまりに頼りない一本の細いロープ。物語は急転直下、一気に展開スピードを上げる第三部。

そして・・・

『自称映画好き』な方々には、まぁオススメなんじゃないかと。
旧き佳き時代の財産だと思います。

・・・そういえば先週、教育テレビで(今更)今村昌平カントク追悼スペシャルをやってたぞ。

M.スコセッシなんかわざわざ引っ張り出さなくたって、充分番組作りできただろうに・・・って、そんなことより、「汝ら、なぜ好き好んで蛆虫ばかり画く?」と、小津さんに外道呼ばわりされた今村さんを教育(テレビ)で採り上げるのはどうかと。
本人が「助平」と言葉に出して喋ってるとこだけテロップ入れてない、とかするんだったら最初から番組にするな、とコブシにチカラ入れそうになったけど、とにもかくにも面白かったのでNHKさんどうもありがとう。

<本日の日記>
右手がエイトで右足をシックスティーンで刻むのは難しかったけど、今日やってみたら出来た。
Milesの打ち込み作品、Doo-Bopの2曲目はなかなかイイです。

地下鉄Talking

2007年3月15日
予定調和なTVドラマなんか見てるよりは、やっぱり最終電車に乗ってるほうがよっぽど面白い事に出会える。

今夜のキャストは、飲食店経営の二人。

片方は男、40代後半。白髪の割合の方が多くなってしまった痩せ気味なタイプ。

そしてもう一方は背の高い女性、30代半ば以降。ショートのソバージュが、本人の雰囲気が醸し出す違和感さを端的に表現している。

M「・・・やっぱりお客さんが満足してるってのが伝わってくるんだよ。もう少し肉の量を増やしてさ・・・」

F「・・・だから原価率がわかってるかって言ってんの。ちょっとぐらいとか曖昧なこと言ってないで数字で言ってみせろよ!
  この間だってパソコンで幾ら×幾らでどうなってるってちゃんと説明してみせたじゃんかよ。どうなんだよ、幾つだよ、あのメニューの原価率。」

M「・・・利益もなにも売り上げがあってこそじゃないか。確実に売り上げは上がってるんだから。」

F「何言ってんだよまったく。利益=原価率じゃんかよ。だから原価率幾らなんだっつってんだよ。」

M「・・・だからあと50円くらいさ・・・」

F「ふざけんじゃないよ、幾らの内の50円だよ。1キロ幾らの素材で考えてんだよ。」

M「・・・そりゃ採算の取れる範囲でさ・・・」

F「だから幾らの素材だったら採算取れるのか解ってモノ言ってるのかっつーの。1キロ幾らで計算してんだよ、ハッキリ言ってみろよ。」

M「・・・1000円。」

F「1000円?
  ・・・で、それに幾らと幾らを掛けて最終原価ハジキ出してんの?
計算の仕方ちゃんとわかってる、言えるの、言えないんじゃないの?」

M「・・・わかんないよ。」

F「わかんない?!
  なんなんだよそれ、店主のアンタがそんなんでさ。店始めてもう半年だよ、それだけじゃない、もう10年はこの仕事やってんでしょうが。アンタがそんなんわかってなくてどーするのよ。この間だって説明してたって画面ボーッと眺めてるだけでさ、こっちが式入れて表にしてやったって全然頭に入ってないじゃない。」

M「そんな式なんて聞いてないよ。」

F「何度も何度も説明してあげてるじゃない、全然わかってないんだ。だから○○が言ってたことだって聞いてるようで聞いてないわけだ。」

M「・・・」

「・・・ただ献立の内容を考えてただけなのに・・・」

そんな調子が延々と続いて約15分、やがて二人が降りる駅がやってきた。

7人掛けベンチシートのほぼ真ん中に座っていた二人。
停車してドアの開く音が聞こえた瞬間、まるで申し合わせていたかのように、互いに反対の方向に顔を向けて立ち上がった。
別々のドアから降りるために。

・・・恐らく同じ改札を通って、同じ玄関のドアを目指す二人なのだろうが。

生きてゆくって大変だ、本当に。

つまみ求む。

2007年3月9日 日常
『VIVA かつを!』
・・・ってことで遅い晩御飯を食べていたら、300mlの月桂冠・生貯蔵酒が余ってしまった。

皆さんこんばんは、久し振りに日記を書いています。
リンク外さないでいてくれて感謝です。ありがとうございます。

ここ最近、言葉をすっかり失ってしまって、焦っていました。

昨日(3/8)も、有楽町線のシルバーシートに座っていた老婆の鋭い眼光を受けて、「(さてはオヌシ、何やら抱え込んでおるな。)」とのメッセージを頂戴し、気付かぬフリして隣の車両に逃げ込んだほどでした。

しかし、今日(3/9)、少しばかりの希望を持てる情報(上司がもしかしたら更迭されるかもしれない)をキャッチして、ようやっと現実に足を下ろすことができた心境です。

疲れていると酔いが廻るのが早いです、しかし。

アイスクリームがもう食べたくなってきた。

ハーゲンダッツの新作、アズキミルクを買い忘れていたことを思い出してしまいました。

明日探してみよう。

・・・とにかく、とにかく、まだリハビリが終わってません。

意味じゃなく意義のあることばを遺せるようになるまでには、もう少し時間がかかるようですね。

オモシロミのある文章を再掲できるようになるまでは、相当時間が要るような気もします。

(10分経過)

カミさん購入のアロエヨーグルトを食べながら、湯飲みに残った月桂冠と仲良くすることにしました。

近頃、料理すらしていない、ということは買い物すらできていない、ということで、リラクシングアイテム(?)の不足が生じています。

ローランドの導入のおかげで肩こりが消滅したのと引き換えに、カミさんとの会話もだいぶ消滅(節約?)してきました。

ふたたび崩壊に向けて助走開始か?

・・・という雲行きにならぬよう、明日は上手く立ち回らなければなりません。

みなさん、ごきげんよう。
ちょいメタ対策の効果も期待しつつ始めたドラムも、だいぶ調子付いてきた今日この頃。
今夜はマイケル・ジャクソンのデンジャラスで遊ぶ。
お酒によって酔い方は変わるとの話も頷ける、安ワインの力を借りたリフレッシュタイム。
だいぶスッキリさっぱりキッパリしてから、ちょこっとひと休み。
NHKのニュースを眺めながら、久し振りの日記を書いている。

あれ、もう書く事が無くなっちゃった。

しっかし、仕事次第だなぁ。
まぁでも、あと1日。
よし、もう寝るか。
日曜日の夕方、バイトに行くかみさんと、もう少し昼寝を続けたいという息子のためにサンドイッチを作ってあげて、自分はふらりと出かけさせてもらった。
電車に揺られて・・・という気分じゃなかったから、けどそれでいて、ゆるりとしたかったので、100km/h以上は出さない約束を自分としておいての首都高速。

・・・ずっと必要だった、傷だらけの眼鏡のあとがまを選んで買い物終了。息子に、「1時間ほどで戻る。」と一報を入れて、もちろん帰りは一般道。

ダッシュボードの旧き善きCDナビに一瞥をくれて、結局は自分の気の向くまま。
走り慣れた道が心地いい。

長く延びた陽もすっかりと暮れて、ふと前が開けたら、まん丸な月が。

いいじゃない、うん。

・・・と一人頷く。

真っ直ぐと東に向かう靖国通り→京葉道路は、その夜、終始お月様が視界に入っていてくれてなかなかのものだった。

しかも日曜の夜の一般道は、だいぶ走りやすいのだ。
けっこういいペースで進む。

予想したよりも早く、いい気分で家に辿り着くと、息子はまだ少し何か食べたそうにしてる。

パンが4分の1ほど残ってたから、さっきと同じ生ハムとチーズとレタスとキュウリのサンドを作ろうかと、ちょっと考えたけど、ナイフを洗うのが面倒くさそうでやめた。

結局インスタント麺と野菜と玉子をささっとあわせて、二人でかきこむ。

今日はなかなかよく食べるじゃないか、と、普段、しごく少食な我が子を眺めて満足する。

なかなか良い日曜日だった。

忙しい

2007年2月2日
なかなか落ち着いて物事を考えていられない日々が続いている。
冬物セールだって、最終日にすべりこみで残り物をピックアップしたりと。
今月はまともな神経では乗り切れない決算が控えてるから、だからこそ余計に自己投影させる行為が必要なはず。
なんとかやり過ごそう。

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