「合衆国には、2種類の黒人がいる。」とは、コリン・パウエルの談。


自ら望んで、夢と希望を胸に北米大陸にやってきた黒人と、その子孫。


無理矢理連れてこられ、困窮生活を強いられた黒人と、その子孫。


まだなのだ。


しかし、彼はきっかけ、では、ある。


そう遠くない未来に、旧・二級市民階層ファミリー出身の大統領の誕生が、実現するであろう。


・・・しかし、なおしかし、ネイティヴ・アメリカンの飛躍は兆しさえ見えず・・・


アメリカ合衆国とは、なんと複雑な国家であろうか。



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ただただ自分が大統領になりたいマケイン(そうすることによって、軍人としては失格、と見なされた超エリート軍人家族に生まれた彼はやっと尊厳を取り戻せる・・・)ではなく、大統領になってから、あんなこと、こんなことを実現させたいという言葉にリアリティーのあったオバマが当選するのは絶対的に明らかな展望であった。

だからとは言え、やはり祝杯を挙げる気にはならなかった。

なにかが物足りない。

音楽を通じて、アメリカ合衆国とその国民の姿を身近に感じながら長いこと過ごしてきた私だが、このような話題について意見をぶつけることのできる友人が最近身近にいないことが悩みである。

だからなのか、矮小で利己的な太郎くんの声明に対し、呆れるを通り越して絶望すら感じてしまった。

ニュース映像にチラリと映ったジェシー・ジャクソンの表情には感慨を憶えた。

歓喜に湧きあがる・・・などとは正反対の、不安と心配で一杯の困った表情。

問題は根深いのだ。

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