・・・なんて言葉をあてがわれているのが、5曲目の『Just the two of us』。
オープニングから何から、総じて文句の付けようがないと絶賛されて久しい(らしい)。
これが録音されたのが’80年ということは、私が6歳の時。
こうしてオヤジになった頃に僕が楽しんでいられるように、若きマーカス君はせっせとスタジオでベースを弾いていてくれたのだ。
昨日も2004年のハイドパークでのペッパーズ(2枚組)をじっくりと聴いていて感じたのだが、ベースという楽器はつくづく不思議である。
ラインを踏むだけなら鍵盤で事足りるのだろう。
しかし弦楽器であるがこそのグリッサンドが、その存在意義を頑なに守っているのではないか。
メロウであろうがタイトであろうが、小節と小節、拍子と拍子をつなぐその一瞬の経過音が、引き波のように曲のテンションを織り合わせていく。
さっきNHKで見た武部さん(一青窈のプロデュース等)の、粘って粘って唄い手からアドリブを引き出した瞬間の、顔には出さない笑みがものすごく印象に残った。
だから久しぶりに何かを書きたくなったのだ。
こうして書いていてそれがなぜだったのか、ようやくわかってきた。
さぁ、次にはこういくのでしょう?
・・・と、相手をそれとなく導く合いの手、
そんな一瞬の輝きが、ベーシストの紡ぐグリッサンドであってプロデュース業の真骨頂なのかもしれない。
そんな仕事が、今の自分にはすごく重要に思える。
オープニングから何から、総じて文句の付けようがないと絶賛されて久しい(らしい)。
これが録音されたのが’80年ということは、私が6歳の時。
こうしてオヤジになった頃に僕が楽しんでいられるように、若きマーカス君はせっせとスタジオでベースを弾いていてくれたのだ。
昨日も2004年のハイドパークでのペッパーズ(2枚組)をじっくりと聴いていて感じたのだが、ベースという楽器はつくづく不思議である。
ラインを踏むだけなら鍵盤で事足りるのだろう。
しかし弦楽器であるがこそのグリッサンドが、その存在意義を頑なに守っているのではないか。
メロウであろうがタイトであろうが、小節と小節、拍子と拍子をつなぐその一瞬の経過音が、引き波のように曲のテンションを織り合わせていく。
さっきNHKで見た武部さん(一青窈のプロデュース等)の、粘って粘って唄い手からアドリブを引き出した瞬間の、顔には出さない笑みがものすごく印象に残った。
だから久しぶりに何かを書きたくなったのだ。
こうして書いていてそれがなぜだったのか、ようやくわかってきた。
さぁ、次にはこういくのでしょう?
・・・と、相手をそれとなく導く合いの手、
そんな一瞬の輝きが、ベーシストの紡ぐグリッサンドであってプロデュース業の真骨頂なのかもしれない。
そんな仕事が、今の自分にはすごく重要に思える。
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